「土地の記憶 時との記録 下」に
「人類史に残す等身大の言葉 被災者本人がつづるリアル」として
金菱清 編
東北学院大学 震災の記録プロジェクト
3.11 慟哭の記録
――71人が体感した大津波・原発・巨大地震
の記事が、8月24日付京都新聞に掲載されました。
・・・・・・「聞き書きだと、聞き手が聞きたいことだけの内容になる。前後の文脈が見えづらく、被災者が体験の中で何を重視しているのかも分からない」
被災者自らが書くことにこだわった金菱の原点には、生まれ育った大阪で体験した阪神大震災がある。
「マスメディアは横倒れになった高速道路や火災現場の上空からの映像ばかりを流し、その下で人々がどう生きたのかまったく伝わってこなかった」
今回の震災でも津波の空撮映像がくり返し流され、イメージを決定づけた
「圧倒的な映像で下記消された小さな声、本人が描くディティールにこそ震災のリアリティがある」。
写真を一切載せなかったのも、言葉そのものへの信頼を取り戻す意図が込められている。・・・・・・
震災後の混乱と悲しみの中で、遺族らは何を思い、手記を書いたのか。
チームに参加した東北学院大学2年の渡辺英利(20)も筆者のひとりだ。宮城県七ヶ浜町の自宅の裏山で津波に襲われ、祖母とつないだ手をはなしてしまった。祖母は数日後、遺体で見つかった。
避難先のアパートで家族が寝静まった深夜、パソコンに向かった。震災当日に祖母と食べたケーキ、目の前で津波に押しつぶされた自宅、そして手がはなれた瞬間のこと。祖母の死は「私のせいだ」と自分を責め続けた。
「書き始める前には、いつも涙がこぼれた。でもやり遂げたいという思いの方が強かった。おばあちゃんの最後を知っているのは他の誰でもない。私が書くんだって」
津波で息子を亡くした27歳の息子のことをつづった同大職員の小原武久(56)も「この本は息子への弔い。一生、何かあるたびに読み返すと思う」と、執筆の意味をかみしめる。
未曾有の災害をどう記録し、後世に伝えていくか。被災地での試みは始まったばかりだ。金菱の前書きで「世界の読者のみなさまへ」と呼び掛けている。なぜなら一人として同じではない被災者たちの等身大の言葉は、「人類史の記録」として大きな意味を持つなのだから」
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