書評 楊 駿驍・鄧 剣・松本健太郎 編『日中韓のゲーム文化論』@2024年5月17日付「週刊読書人」
楊 駿驍・鄧 剣・松本健太郎 編
『日中韓のゲーム文化論 なぜ、いま〈東アジア・ゲーム批評〉なのか』
の書評が2024年5月17日付「週刊読書人」にて掲載されました。評者は渡辺範明氏。ご書評くださいました先生、書評紙ご担当者様、ありがとうございます。こころよりお礼申し上げます。
かつて、日本のゲームファンもゲーム業界人も、日本国内の動向だけを見ていれば、それがほぼイコール世界の最先端であった幸運な時代があった。1970年代末~90年代、『スペースインベーダー』から初代プレイステーションぐらいまでの時代である。ところが2000年代、ハードスペックの向上とともに欧米型の大規模スタジオワーク有利の時代が訪れ、良くも悪くも職人気質な日本のゲーム業界は大作ゲームの開発に後塵を拝しはじめた。......2024年現在、「日本はもはやゲーム先進国ではない」という事実が、業界の共通認識になって久しい。つまり「日本のことだけ知っていればいい」という時代は、とうの昔に過ぎ去っているのである。それにも関わらず、私たちは自国以外のゲーム文化について、驚くほど無知である。......
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本書を手に取る方に、最初に一読をお勧めしたいのは第一章「日本ゲームはいかに語られてきたか」である。評論家 中川大地へのインタビューを通し、日本におけるゲーム評論史の概略がわかる。「ゲーム史」でなく「ゲーム評論史」であるところが重要で、本書自体の立ち位置をメタな視点から確認する意味も持つ章といえる。
そして次にお勧めなのが第二章「ゲームフリークはバグと戯れる」である。人類学者・中沢新一によるこの「日本一有名なゲーム評論」のテキストは、1984年初出の「日本初のゲーム評論」でもある。テキスト自体の歴史的価値もさることながら、今あらためて読んでも電子ゲームの誕生からゲーム産業の黎明期にかけての空気が克明に記述されており、日本におけるゲーム受容史の序章としても興味深い。......
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......しかし、ここまで読むと、この二国のゲーム史に共通した、ある大きな要素にも気づかされる。それは、中韓の歴史の通奏低音となっている日本文化への警戒心である。日本は1970年代末~90年代、多数の先進的なハード/ソフトを生み出したが、それら日本製のゲームが自国に普及することが「文化的侵略」にあたるという意識は、中韓に共通していた。日本製ゲームの普及を許せば自国民の「日本化」を招くという両政府の思惑だけでなく、大衆の視点でも反日的感情と先進的ゲームへの渇望がアンビバレントに絡み合っていたようだ。初期の中韓ゲーム史は、このようなジレンマと戦いながらの「日本文化受容史」でもあったと言えるだろう。......
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なぜ、いま〈東アジア・ゲーム批評〉なのか
楊 駿驍・鄧 剣・松本健太郎 編
出版年月日 2024/03/05
ISBN 9784788518360
A5判・400頁
定価4,950円(本体4,500円+税)
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