書評 ジョルダン・サンド著『東京ヴァナキュラー』(池田真歩訳) 図書新聞 2022年2月19日付
ジョルダン・サンド著『東京ヴァナキュラー』(池田真歩訳)の書評が、「図書新聞」2022年2月19日号に掲載されました。
評者は鈴木智之氏。ご書評くださいました先生、掲載紙ご担当者さまにこころよりお礼申し上げます。ありがとうございました。
......「・・・・・・こうした一連の動きを、サンドは一貫して運動論的な文脈のなかで論じている。第一章が「広場の政治」にあてられていることが、その基本的な視角のあり方を示している。かつて、集会やデモといった市民の集合的な意志表示が広場を舞台として展開された時代があった(大学のキャンパスも、この意味での広場のひとつであった)。
例えば、一九六九年、新宿西口地下広場で毎週土曜日の夜に行われた「フォーク・ゲリラ」。ギタリストや歌手とともに学生たちは歌い、「討論会」へと移行していく。「出会い」と「対話」の政治を体現していたこの活動は、警察権力によって排除され幕を下ろすことになる。
本書が語ろうとしているのは、「広場の政治」終焉以降の、都市をベースとした市民運動の可能性についてである。「新宿の出来事は、広場における直接民主主義に託された希望の終わりと、メディア・市民運動・都市の公共空間の三者関係が複雑さを増しゆく時代の始まりを、同時に告げるものであった」。
その時代にあって、土地に残された有形無形の痕跡を発見し、収集し、新たな意味を付与しようとしてきた市民たちの活動は、空間を自分たちのものとして取り戻し、日常性のなかに、今ある社会的・政治的な権力から離れた紐帯を生みだそうとしてきた。人々が抽象的な理念の下に結集して戦うことに徒労感を抱き始めた時代に、「空間と物の物質性こそは、より幅広い層の市民がそれらのもとに集うことを可能にした」とサンドは評価する。もちろん、その限界も指摘される。「日常的なもの」は、集合的アイデンティティの基礎として流用され、批評の根拠としての意味を失う危険性を伴っている。・・・・・・
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