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2020年6月

2020年6月30日 (火)

書評 大野光明・小杉亮子・松井隆志編『「1968」を編みなおす 社会運動史研究2』@週刊読書人2020年6月26日号 掲載

大野光明・小杉亮子・松井隆志編『「1968」を編みなおす 社会運動史研究2』の書評が、週刊読書人2020年6月26日号に掲載されました。評者は小林哲夫氏。評者の先生、掲載紙ご担当者さまに深くお礼申し上げます。ありがとうございました

 

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・・・・・・学生運動をふり返るとき、いまだにメディアあるいはアカデミズムまでもが一九六九年の安田講堂と一九七二年の連合赤軍あさま山荘を象徴的に語ってしまう。そこから暴力性と殺人が強調されて、当時、学生が時代にどう向き合い、何を求めてきたかが置き去りにされてしまった。一九七〇年代以降、学生と社会との関わり合いが、きわめて希薄になってしまう。それによって、日本の社会で学生運動、学生による社会運動を受容する土壌までもなかなか作れなかった。学生主体の運動に対して国民の賛同が得られない、そもそも学生自身が運動の主体にならない、という時代が今日まで続いている。一九八〇年代の反核運動、二〇〇〇年代のイラク反戦運動、二〇一〇年代のSEALDsによる安保関連法案反対運動など、学生が表舞台に立つことはあったが、多数派とは言えなかった。

 それでもどんな時代であっても、社会に向き合い、現体制に異議を唱える学生はいる。昨今ではコロナウイルス感染拡大防止で休校、オンライン授業になった分、授業料の返還を求める運動だ。立派な学生による社会運動である。現在の学生が社会に訴える術とし、過去の運動から学ぶこともあろう。そのために学生運動史、社会運動史の確立が必要となる。学生運動経験者は自らの経験を墓場まで持っていかず、負の遺産まで詳らかにする。それを学者、メディアがきちんと検証する。いつまでも安田講堂と連赤だけで学生運動が語られることがないように。

 

9784788516649  「1968」を編みなおす
社会運動史研究 2

大野光明・小杉亮子・松井隆志 編
出版年月日2020/04/20
ISBN 9784788516649
A5判232頁
定価 本体2,300円+税

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2020年6月29日 (月)

書評 堀井一摩 著『国民国家と不気味なもの 』 @「週刊読書人」6月26日付 2020年

堀井一摩 著『国民国家と不気味なもの の書評が6月26日付 2020年「週刊読書人」に掲載されました
評者は副田賢二氏。

評者の先生、掲載紙ご担当者さまに心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。




・・・・・・本書の独自性は、「不気味なもの」という、感覚・記憶・認識が錯綜する表象領域を、国民国家論の批評的コンテクスト上でとらえなおした点にある。論考の対象も、社会主義者、無政府主義者という被抑圧者、動物の化身的存在や亡霊などの周縁的存在をめぐる表象から、著名な文学者や軍人、政治家の公共的言説まで幅広く、そこで同時代の言説と国民国家との構造的な相関性・共犯性を浮かび上がらせることに成功している。

 また、本書の論考の縦軸となるのは日露戦争と大逆事件だが、「不気味なもの」というあくまで主観的な感触を時系列的対象化し解析することで、ジャンル化された旧来の研究言説配置を相対化し、同時代言説・表象の隠されたネットワークを暴き出す可能性を示している。「国民規範」としての天皇制の創出過程で「規範から逸脱する要素は抑圧され、あるいは、棄却される。しかし、それはたえず甦り、国民主体を不意打ちする形で不気味に回帰する」(序章)との「不気味なもの」の概念定義は一定の説得力を持つものだろう。フロイト以降の「不気味なもの」論についても詳細に検証されており、従来の国民国家論の限界を、文学テクスト分析の手法において乗り越える可能性が示唆されている。

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 近代国民国家が、制度に規範化されない存在を排除し、その他者性を剥奪する一方で、文学テクストはその抑圧ゆえに、さらにしたたかにその制度性を暴いてゆく。文学的想像力は、いわば「不気味」な「動物」として放恣に制度を食い破り、自らを絶えず更新してゆくものであることを本書は示唆している。




9784788516786 国民国家と不気味なもの
 日露戦後文学の〈うち〉なる他者像
 堀井 一摩 著
 2020/03/31
 ISBN9784788516786
 4-6判・408頁
 定価 本体3,800円+税

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2020年6月27日 (土)

書評 大野光明・小杉亮子・松井隆志編『「1968」を編みなおす』、図書新聞2020年7月4日号

大野光明・小杉亮子・松井隆志編『「1968」を編みなおす 社会運動史研究2』の書評が、図書新聞2020年7月4日号に掲載されました。評者は久保 隆 氏。評者の先生、掲載紙ご担当者さまに深くお礼申し上げます。ありがとうございました



本書は、昨年の2月に創刊された『社会運動史研究』の第二集である。編者たちは、巻頭で次のように述べていく。
「一九六八年は世界同時多発的に社会運動の高揚が見られた年であり、日本でも、大学闘争やベトナム反戦運動をはじめとして、社会運動史にとって重要だと思われる出来事がさまざまに起こった。当時のグローバルな現象は「1968」と象徴的に呼ばれる。(略)
「1968」の言葉が指し示そうとする出来事は、確かに歴史的・社会的に重要である。しかし、いささか粗雑な「1968」のイメージは、その重要性を理解するためにこそ、いったんほどいてみるべきだ。運動史のディテールに立ち返って再検証し、これまでのイメージや理論を書き換えていくことが、一九六八年から半世紀以上が経過した今だからこそ、必要だと私たちは考えた。」

 確かに、パリ五月革命と呼ばれた運動の中心にいたダニエル・コーン=バンディはアナキストだった。全共闘運動が広く生起していったのは党派が主導していった部分もかなりあるが、ノンセクト学生の多くが参加したことによって、可能となったことを忘れてはならない。運動論的な視線だけでは、必ずしもすべてを捉えていくことができないのは、自明なことである。・・・・・・


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『東大闘争の語り』(二〇一八年)を著した小杉亮子は「“1968”の学生運動を学びほぐす――東大闘争論の検討」と題して、「二〇〇八年前後から、(略)一八年前後までに、当事者や研究者によって刊行された東大闘争論」を取り上げて論及していく。そして『東大闘争の語り』のなかでも提示した「予示的政治」について述べていく。

「予示的政治とは、遠い理想や目標を設定せず、運動のなかの実践や仲間との関係性のつくりかたによって望ましい社会像を予め示そうとする運動原理である。この予示的政治への志向性は、ノンセクト・ラディカルを中心とする東大全共闘派の学生たちが、新旧左翼政党・党派の運動原理である「戦略的政治」を批判し、それとは異なる運動を追求したことから形成された。」

運動というものは、主導者がいて、共感していく人たちが連動していくことではない。そこにひとつの関係性、つまり開かれた共同性を形成していくことが切実なことなのだ。・・・・・・

 

 

 

9784788516649  「1968」を編みなおす
社会運動史研究 2

大野光明・小杉亮子・松井隆志 編
出版年月日2020/04/20
ISBN 9784788516649
A5判232頁
定価 本体2,300円+税

 

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2020年6月22日 (月)

書評 堀井一摩 著『国民国家と不気味なもの 』 6月27日 2020年付「図書新聞」

堀井一摩 著『国民国家と不気味なもの の書評が6月27日付 2020年「図書新聞」に掲載されました
評者は中山弘明氏。

評者の先生、掲載紙ご担当者さまに心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

近代日本における国民国家を倒壊する不敵な場

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本書の読みどころの一つは、こうした幻想文学論的テクストを乃木希典の殉死をめぐる国民の同情と反発をめぐる言説の精査を通じて、〈殉死〉と乃木表象の有り様から漱石の『心』と芥川の「将軍」へと繋げていく展開にあるだろう。乃木の殉死は、本来こうした「文明国」にあるまじき死の不安を隠している。それは武士道が本来内包する男色的欲望に満ちた、不敬の意味さえ隠蔽していた。こうした乃木にまつわるネガティブな感情は、〈うち〉に密かに伏流して『心』にたどり着く。『心』をめぐる著名な論争の経緯で、「先生」の恋と「血」のレトリックは様々に議論されてきた。それがこうした国民国家の秩序を自壊させる男色的欲望を隠していることは、近代的セクシュアリティの断面に迫ったテクストであるだけに、当然たどり着く問題と言えよう。しかし幻想文学を起点として見えてくる光景として一つの新鮮さを持つだろう。

今一つの読みどころは、後半、大逆事件をめぐる言説にそれを繋ぎ、特に平出修「逆徒」を心理小説として読む試みだ。この裁判が本来、被告の思想信条を問うことをもくろみながら、小説はその心理に焦点化することで、そもそも判決に先だって先験的に「無政府主義者」が存在したわけではなく、判決を下す行為遂行性の中から遡及的にそれは派生したものにすぎないという司法という近代知の陥穽を明らかにしていく。近代知というなら、不敬をめぐる二つのテクスト幸徳秋水『基督抹殺論』と鴎外「かのように」を連鎖させることで、近代史学の成立をつげるはずの久米邦武「神道は祭天の古俗」をめぐる筆禍の、天皇制神話と実証史学の背反を跡づけていく。こうした国民国家の虚構性を密かに暴き、それを「よそよそしいもの」に反転させ不気味なものを召喚する著者の執拗な追跡は熱を帯びている。

 最後に本書への不満と今後の期待を付記しよう。まず「日露戦後文学」と国民国家を論ずるに当たって自然主義への論及がないのはいかにも物足りない。広津柳浪から岩野泡鳴まで、悲惨小説や自然主義の表象はしばしば「怪物」的なものを顕在化させた。その意味で、鏡花、漱石、芥川、大逆事件と結ぶ本書の線引きはいささか荒い。こうした自然主義と日露戦後文学の射程は、本書に言及の少ない渡部直己やすが秀実の著作の中で、これまで精緻に論及されてきてた。例えば『蒲団』における女の排除と「匂い」の問題、そして『破戒』における差別と天皇制の議論。いずれも国民国家を問う上で避けることが出来ないように思うがどうか......
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とまれ、「不気味なもの」はクールジャパンを誇る現代日本にも伏在する。無政府主義や社会主義が「伝染病」の表象として「駆除」された現実は、確実に我々の問題だ。そのことを確かに知らしめる好著である。

 

 

9784788516786 国民国家と不気味なもの
 日露戦後文学の〈うち〉なる他者像
 堀井 一摩 著
 2020/03/31
 ISBN9784788516786
 4-6判・408頁
 定価 本体3,800円+税






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2020年6月 8日 (月)

書評 西山けい子著『エドガー・アラン・ポー』@「図書新聞」2020年6月13日付

西山けい子著『エドガー・アラン・ポー』の書評が「図書新聞」2020年6月13日付 に掲載されました。評者は福島祥一郎氏。
ご書評くださいました先生、掲載紙ご担当者さまに心よりお礼申し上げます。ありがとうございました

「不気味なもの」の向こう側

アカデミックな研究分野には多かれ少なかれ「流行」というものがあるが、文学研究もその例に漏れず、これまでいくつものトレンドが生まれてきた。例えば、1980年代初頭にスティーヴン・グリーンブラッドとキャサリン・ギャラガーが創始した新歴史主義は、(彼らの意図とは必ずしも合致しない形で)それまでの批評理論に依拠した手法を書き換え、80年代後半から現在に至るまで、文化研究と並んで非常に強力な批評的視座を形成してきた。しかしながら本書は、そうした批評の「トレンド」に応答しつつも、心理学、現象学、そしてラカン理論に対する著者自身のゆるぎない関心にもとづき、ポーという作家の特異性に焦点を当て、ポー文学の本質とは何かを探求する。

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最後にひとつ付言したい。「群衆の人」に関する二つの章からはじまる本書は、疫病のナラティヴに関する論考で終わる。終章はまさに、新型コロナによって未曽有の混乱に陥っている現代の社会の苦境を予見するかのようでさえある。もちろん、出版の期日が現在のコロナ禍と重なったことは偶然であろう。しかし一方で、この論考が終章に置かれていることを考慮に入れ、さらにそこで鳴らされる生政治に対する警鐘を読めば、あるいみでそれは必然であったのかもしれない。いずれにせよ、本書は今まさに読まれるべき著作のひとつといえる。

9784788516694西山けい子著
『エドガー・アラン・ポー』

出版年月日 2020/03/10
ISBN 9784788516694
4-6・328ページ
定価 本体3,200円+税

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2020年6月 1日 (月)

書評 堀井 一摩 著『国民国家と不気味なもの 』@「週刊金曜日」 2020年5月22日

堀井一摩 著『国民国家と不気味なもの の書評が5月22日 2020年 付「週刊金曜日」に掲載されました
評者は高原到氏。

評者の先生、掲載誌ご担当者さまに心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

 

・・・・・・精神分析の泰斗フロイトは、「不気味なもの」とは新奇性や疎遠性をおびたものではないと言う。むしろ、馴染みのもの・旧知のものが抑圧をかいくぐって回帰してきた時に、私たちは「不気味さ」を感じるのだ。

 この意味で、生物がその進化の過程で切り離していった遺伝子の断片とされるウィルスは、まさに人間を含んだ生物一般にとって、旧知のものの不気味な回帰にほかならない。それは国境線や社会的階層の区別を跨いでどこにも出現する。動物と人間、生と死といった生命的存在の最古層にある境界さえ越境し、差異と境界によって成り立っている私たちの文明社会の秩序を根底から揺さぶる。

しかし、こうした文明の危機においてこそ、文学はその固有の光を放ってきた事実を忘れてはならない。カミュの名作『ペスト』が、絶望の渦中にかすかな希望を灯す物語として世界中でベストセラーになっているのを見るがよい。「日露戦後文学の〈うち〉なる他者像」と副題された重厚な近代文学研究である本書も、一見そうは見えないが、まさに今だからこそ読まれる価値がある書物である
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フロイトの「不気味なもの」を導きの糸に、日本における近代国民国家の完成期と目される日露戦争後の文学表現に照準し、成立したばかりの国民国家を脅かす攪乱要素の多様な回帰を看取してゆくのが、筆者の戦略だ。例えばそれは、天皇の兵士へと鋳造された男たちの男色的な関係であり、社会から排除され家庭へと封鎖された女たちの蠱惑力であり、苛烈な戦場で四股引きちぎられる酸鼻な死であり、人間の深層で炯々と目を光らせる動物の群れである。

 これら「不気味なもの」の中で、とりわけ興味深いのは、近代史上最大のフレームアップたる大逆事件において、時の権力者山縣有朋が、幸徳秋水た社会主義者を「革命という流行病(パンデミック)」をもたらすコレラやペストのような「病毒」の隠喩で語っているという指摘だ。当時、思想犯罪と防疫を管掌していたのんはともに警察権力だった。社会主義という、国民国家にとって不気味な異物を、警察は「疫病」として隔離し、司法は死刑という形で「減菌」したのである。

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9784788516786 国民国家と不気味なもの
 日露戦後文学の〈うち〉なる他者像
 堀井 一摩 著
 2020/03/31
 ISBN9784788516786
 4-6判・408頁
 定価 本体3,800円+税

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