書評 足立重和 著『郡上八幡 伝統を生きる』
足立重和 著
『郡上八幡 伝統を生きる』 の書評が、図書新聞2010年12月4日号に掲載されました。
評者は金菱 清氏。
ノスタルジーを身体化する人々の「生きざま」に迫る
・・・・・・夏の期間ほぼ毎日開催される郡上踊りは、30万人以上の観光客を招き入れるほど郡上八幡の町にとって一大観光資源になるとともに、国の重要無形民俗文化財の指定を受けるなど不動の地位を確立してきた。その一方で、地元の人々は観光化された踊りから離脱し、盆踊りの本来あるべき姿としての「昔おどり」を志向しはじめたのである。
著者は郡上八幡において現在進行形で行われている地域の実践を「ノスタルジック・セルフ」という概念で浮き彫りにしようとする。通常用いられるノスタルジーとは、デーヴィスが『ノスタルジアの社会学』でまとめているような過去を思い出して、アイデンティティの連続を確認することで自身(自信)を回復しようとするものである。「失われた10年」と称される経済状況の沈滞につれて映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に限らず、過去への郷愁へと夢や希望を先導するものは後を絶たない。このような過去に対する賛美に対して、過剰な美化といった「嘘」であると暴露されてきた。
しかしながら、本書が貫こうとしている郡上八幡の人々の生きざまの核である「ノスタルジック・セルフ」の独自性は、後ろ向きな過去ではなく、未来志向的で 創造的な主体を想定していることである。ここでの主体は、<いま・ここ>において伝統文化が作られる文化構築主義的な現実を後目に、観光化以前に<あのとき・あそこ>で行われていた踊りを<これから>実践されるべき規範とするようなエートス(「生きざま」)なのである。画一化し統制された伝統文化としての踊りと比較するなかで、誰が音頭をとるのかわからないという即興性や偶発性を楽しんでいた昔を基点としながら、自分たちの風情ある踊りを取り戻す取り組みでもある・・・・・・
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