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小熊英二「ポスト戦後の思想」はいかに可能か? 「kotoba」2010秋号

「コトバkotoba」創刊号(集英社発行)に小熊英二氏へのロングインタビューが掲載されました。

──戦後が終焉を迎えたとなると、戦後何年という言い方も消えていくでしょうか。

小熊 それはなくならないでしょう。大日本帝国が明治維新から建国されたように、日本国という国家は敗戦から建国されている。だから戦後何年という言い方は、日本国建国何年という意味になる。だから70年でも80年でも、日本国が続く限り、戦後何年といった言い方は続くと思います。
 とはいえ論壇を見ていると、現在では歴史を交えて現在を語る際に、「戦後」という区切りより、「バブル崩壊以後」という区切りをするほうが多くなってきているように思います。70年代、80年代には、戦前と戦後という比較で現代を語っていたけれど、最近はバブル以前とバブル以後という比較が多い。バブル崩壊から利益誘導と再配分のシステムが行きづまったわけですから、その区切りが戦前と戦後に相当するぐらいの屈曲点として意識されるようになっているのでしょう。

──90年代始めのバブル崩壊が大きな画期ということでしょうか。

小熊 91年は大きな意味をもっていて、ソ連崩壊による冷戦終結、湾岸戦争、そして日本の経済成長の停止が起こった年です。日本経済はそれ以降、マイナスから2パーセント強くらいの成長率でずっと推移しています。
 冷戦の終結と日本経済の停滞に連動性があるのかはむずかしいところですが、歴史的にいえば日本は冷戦構造のなかで栄えてきた国です。冷戦期には日本は東アジアの西側陣営唯一の先進工業国として地位を築いてきました。それが冷戦終結によって世界の垣根が取り払われ、グローバリゼーションが加速するなかで、それまでの世界構造に適合するなかで、それまでの世界構造に適合していた日本経済のあり方が国際的変化に立ち遅れてしまったといえるのではないでしょうか・・・・・・



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