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書評『発明はいかに始まるか』

「・・・・・・もう一つ触れておきたいことがある。技術史はともすれば発明発見伝の平板な羅列になるが、その平板さを救うように、著者には「発明の哲学」がある。それは、発明を孤独な天才の偉業と見るのではなく、同時代に共有されていた問題関心や、先行する同業者たちの創意工夫が凝縮したものと見るということ。つまり、発明を本質的には集団的営為と見るということだ。もっとも技術史の分野では他にも似た主張をする人が何人もいるので、ひょっとするとこの判断は、技術史に内在する「事実の力」がもたらすものなのかもしれない。ともあれ、それはわれわれにどこか力を与えてくれる。・・・・・・・至る所に存在する発意と、それが若干濃縮されて点在するという知識の図。勇気を与えてくれる風景ではないか」

ジョン・リーンハード著『発明はいかに始まるか』の書評が、2008年12月21日付日本経済新聞に掲載されました。評者は金森修氏。

掲載紙ご担当者様、評者の先生にこころより書評掲載のお礼を申し上げます。

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