カテゴリー「1968」の記事

青土社 ユリイカ 特集「特集*山下敦弘」 『マイ・バック・ページ』 の 〈青春〉

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青土社さん発売 ユリイカ2011年6月号は
「特集*山下敦弘」

小熊英二氏がエッセイ「限りなく本物に近づいた虚構」を書かれています。
『1968』の広告を掲載いたしました。

(毎日新聞社刊) 小熊英二著 『私たちはいまどこにいるのか=小熊英二時評』

弊社本ではないですがご紹介いたします、
もう並びはじめているようですね、

小熊英二著 『私たちはいまどこにいるのか=小熊英二時評』(毎日新聞社さんサイトへリンクされています)

その関連でしょうか『インド日記『対話の回路』(新曜社)の動きがめだっています。

角川財団学芸賞 小熊英二氏『1968』(新曜社刊) 選評

12月6日(月)東京會舘12階 ロイヤルルームにて第32回角川源義賞 第8回角川財団学芸賞の贈呈式が催されました。主催 財団法人 角川文化振興財団。

角川源義賞 《文学研究部門》 揖斐 高氏 
『近世文学の境界――個我と表現の変容』(岩波書店刊)

選考委員会より 「徳川文化の内奥の手ざわり」(芳賀徹氏)

角川源義賞 《歴史研究部門》 前田 勉氏 
『江戸後期の思想空間』(ぺりかん社)

選考委員会より「近世思想史の新しい視座」(脇田修氏)

角川財団学芸賞 小熊英二氏
『1968』(新曜社刊)

角川財団学芸賞選考委員会より

「根源的総括」(鹿島茂氏)

「一九六八年前後に高揚を見た学生運動の根源的な総括が、運動を実際には経験していない世代の小熊英二さんによって行われたことは一つの必然であると同時に快挙であると思います。
必然というのは、当事者であった私たちの世代ではこれほどまでに巨視的かつ客観的な判断は下せなかったからです。やはり、時代から距離を置いた研究者でなければ、こうした「現代史」は書き得なかったに違いありません。
一方、快挙というのは、小熊英二さんという人並み外れた膂力に恵まれた書き手がいたからこそ、歴史的にも異常に突出したこの時代をほぼ完璧に描き切ることが可能になったという意味です。・・・・・・
しかし、これらの長所・美点をすべて認めた上で、歴史の当事者の一人としては、クロード・シモンが『草』という小説の冒頭として掲げたボリス・パステルナークの言葉「だれも歴史をつくりはしないし、見ることもない。草が生長するのを見ることがないように」を繰り返すほかはありません。生長する草の間にいた人間にとって、「これが草だ」と言われても、「なるほど、草かもしれない。だが、私が草いきれを嗅いでいた草は少しそれとは違うのだ」と小声でつぶやくことになるのです。

「壮大な同時代史」(福原義春氏)

「私たちは忘れてしまったようにしているが、実は忘れられない、忘れては行けない歴史のあったことを上・下二千頁を超える大著が改めて教えてくれた。
同時代史というものの重要性は誰もが認識しているものの、得てして実存する人物を証人として語らせる時、往々にして客観性を失う危険についても経験している。今日論じられている明治維新の出来事についての歪んだ解釈がその例証である。
六〇年代安保闘争から七〇年代に及んで、全共闘を一つの軸にして展開し屈曲して行く歴史の流れとさまざまな襞を記述するのに使われた方法は、残された無数の一次資料や回想記などを悉皆的に収集して読み解くことであった。そこでこの大部の研究は、ある意味で客観性と将来に残る二次資料としての価値を併せ持つ文献ともなった。
恐ろしいほど読みごたえのある本だが、これが読めてしまうということは、第一にその方法の成功であり、第二に読者をも共に考えさせてしまう提示の仕方にある。同時代を過ごした人々も、この時代が終わった後に生まれ育った人々も、今日の日本社会はここに取り上げられたような過去を背負った歴史的現実であることを改めて考えざるを得ない。・・・・・・

「天晴れな力業」 (山折哲雄)

「六〇年代、日本列島を襲った「学生叛乱」についての、同時代的な診断書である。運動にまきこまれたさまざまな人間たちの証言をつらねたドキュメンタリーとしても異色のものだ。著者はその後の世代に属するが、たんなる後追いの外形的総括の域をこえ、自身の内的エネルギーを総動員して対象に挑みかかっている。

まず、この叛乱の時代を一挙にワシづかみにしようとするときの発想と展望が鮮やかで、説得力に富む。六〇年安保で象徴される時代、若者たち覆っていたのは戦後の飢餓と貧困、そして戦争への恐怖といった重圧からくる「近代的不幸」だった。これにたいして六八年から翌年にかけて発生する「叛乱」の本質は、高度経済成長と消費社会がつくりだした学力競争、閉塞感、無感動、存在感の喪失、などからくる「現代的不幸」にあったといえる。

その「近代的不幸」の時代、日本は発展途上国の段階をさ迷っていたが、またたくまに高度経済成長の波にのって先進国の仲間入りをする。その急激な社会の変質が、叛乱の正義をいや応なく狂気と分裂へとみちびいていった。この変転きわまりない過程を、セクトの活動家、ノンセクトの学生、そして参加し傍観する知識人たちの感想、批評、放言、中傷など、多彩な情報を収集し、選別し、物語化して、一つひとつの事件を浮き彫りにしている。・・・・・・・」

お知らせ 明治学院大学2010年度公開セミナー 小熊英二氏 × 高橋源一郎氏

お知らせ 明治学院大学2010年度公開セミナー
第10回 12月14日(火) 小熊英二氏 × 高橋源一郎氏 の対談
が催されます。

● 主 催 : 明治学院大学国際学部付属研究所
● 時 間 : 16 時 45分 ~ 18 時 15分 (開場:16時35分)
● 場 所 : 横浜校舎7号館2階720教室 定員500名
● 交通アクセス:JR戸塚駅東口バスターミナル8番乗り場より、 江ノ電バス「明治学院大学南門」行きに乗り「明治学院大学南門 (終点)」にて下車 (乗車約7分)

詳しくは右記サイトをご覧ください 明治学院大学 公開セミナー 「知」の十字路

<企画の趣旨>

この公開セミナーは、すでにわかっていることを一般人にわかりやすく伝える教養講座ではありません。既成の学問によって解答を与えられていないさまざまな問題について、いま最先端で活躍する論客をゲストに迎えながら、皆さんと一緒に考えようというものです。本を読むだけでは決して味わえない「知」の交錯する現場に、さあ、あなたも立ち会いませんか。

国際学部付属研究所長 原 武史


    ●参加費無料、事前申し込み不要です。 お気軽にご参加ください。(定員500名)
    ●学内および近隣に駐車場はございませんので、公共交通機関をご利用下さい。

          明治学院大学 公開セミナー 「知」の十字路サイトより

余談ですが番外編はやはり鉄関係でしょうか・・・・・・                    

お知らせ 『1968』 第8回角川財団学芸賞 受賞

1968logo 小熊英二著『1968』
第8回角川財団学芸賞を受賞いたしました。

角川財団学芸賞は、アカデミズムの成果をひろく一般読書人・読書界につなげ、知の歓びを共有するとともに、研究諸分野の発展に寄与することを目的として、平成14年に設定されました。

選考対象

日本の文芸・文化――すなわち、文学・歴史・民俗・思想・宗教・言語等とその周辺分野、あるいは、それらを広 範・多義的にテーマとする著作。高レベルの研究水準にありながら、一般読書人にも読まれうる個人の著作を対象とします。日本語で書かれた著作であることを 条件としますが、出版の形態は単行本・各種の叢書・選書・新書等、特に問いません。フィクション(小説・詩歌等)は含みません。

選考委員

鹿島 茂 明治大学教授
姜  尚  中 東京大学大学院教授
福原義春 株式会社資生堂名誉会長
山折哲雄 宗教学者

財団法人 角川文化振興財団 ホームページより引用いたしました)

小熊英二「ポスト戦後の思想」はいかに可能か? 「kotoba」2010秋号

「コトバkotoba」創刊号(集英社発行)に小熊英二氏へのロングインタビューが掲載されました。

──戦後が終焉を迎えたとなると、戦後何年という言い方も消えていくでしょうか。

小熊 それはなくならないでしょう。大日本帝国が明治維新から建国されたように、日本国という国家は敗戦から建国されている。だから戦後何年という言い方は、日本国建国何年という意味になる。だから70年でも80年でも、日本国が続く限り、戦後何年といった言い方は続くと思います。
 とはいえ論壇を見ていると、現在では歴史を交えて現在を語る際に、「戦後」という区切りより、「バブル崩壊以後」という区切りをするほうが多くなってきているように思います。70年代、80年代には、戦前と戦後という比較で現代を語っていたけれど、最近はバブル以前とバブル以後という比較が多い。バブル崩壊から利益誘導と再配分のシステムが行きづまったわけですから、その区切りが戦前と戦後に相当するぐらいの屈曲点として意識されるようになっているのでしょう。

──90年代始めのバブル崩壊が大きな画期ということでしょうか。

小熊 91年は大きな意味をもっていて、ソ連崩壊による冷戦終結、湾岸戦争、そして日本の経済成長の停止が起こった年です。日本経済はそれ以降、マイナスから2パーセント強くらいの成長率でずっと推移しています。
 冷戦の終結と日本経済の停滞に連動性があるのかはむずかしいところですが、歴史的にいえば日本は冷戦構造のなかで栄えてきた国です。冷戦期には日本は東アジアの西側陣営唯一の先進工業国として地位を築いてきました。それが冷戦終結によって世界の垣根が取り払われ、グローバリゼーションが加速するなかで、それまでの世界構造に適合するなかで、それまでの世界構造に適合していた日本経済のあり方が国際的変化に立ち遅れてしまったといえるのではないでしょうか・・・・・・



書評 小熊英二著『1968』

小熊英二著『1968』
が2010年8月8日付朝日新聞書評欄「ゼロ年代の50冊 2000-2009」にとりあげられました。ともに掲載されている原武史氏の『滝山コミューン一九七四』(講談社)とともに「同じ62年生まれの気鋭の学者二人が、まったく対照的な方法でそれぞれの年の歴史性にアプローチした著作である」とご紹介いただきました。

・・・・・・50冊アンケートでは、ジャーナリストの佐々木俊尚さん「70年代からゼロ年代にいたる日本の言論――r論壇、マスメディア、市民運動の立脚点がどこにあったのかを、本書は冷酷なまでに暴露している。現代日本社会の精神風景をみごとに解き明かした大作」と評価。学習院大学教授の井上寿一さんも、「戦後最大の社会変動の『物語』を描き切った名作。歴史叙述に必要なあらゆる要素を満載している。歴史社会学が到達した大きな道標となるに違いない」と賛辞を惜しまない

>>>>書評全文を読む

読者の方の感想もいくつかお寄せいただいており、とてもありがたいです。
評者の先生方、書評紙ご担当者の方に心よりお礼申し上げます。

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書評 小熊英二著『1968』

小熊英二著『1968』

「UP」2010/3 no449にて書評されました。評者は苅部 直氏。
掲載誌ご担当者さま、書評くださいました先生には心よりお礼申し上げます

「一九六八年について私が知っている二、三の事柄」

・・・・・・
しかし「結論」では、このベ平連の運動もまた、高度資本主義化の新しい工業生産方式に「適合」した「分散化と個別化」の組織形態によるものであり、参加者の意図はともかく、「より高次な資本主義社会へのアンチ」になりえなかった、と指摘してもいる(下巻829-835頁)。これははたしてどうなのか。ゆるやかな組織が同じ時期に、製造業界と社会運動団体との両方に生まれたことに、何らかの共通の原因があるという仮説は、いちおう提起しうるだろう。だが、現代の資本主義をのりこえよと批判するかのような文言を付け加えると、かつての新左翼と同様のリゴリズムを呼びよせてしまうのではないか。

続きを読む "書評 小熊英二著『1968』" »

小熊英二氏+高原基彰氏対談 「at プラス」(太田出版)リニューアル4号

太田出版発行の 「at プラス」リニューアル4号、2010年5月号 特集「エコノミストはなぜ経済成長の夢を見るか?」にて小熊英二氏+高原基彰氏の対談「サヨクはなぜ経済成長の夢を見るか?」が掲載されました。

 

小熊 アメリカの場合、共産主義化だとか、社会主義化だといった議論はほとんどなく、モラルある市場主義がある程度コンセンサスになっています。だからかつては、アメリカにおける右左は、そのコンセンサスに則った上での狭い選択に過ぎないと考えられていた。しかし、高原さんは、そのアメリカの方が規範的な議論があり、日本はそれをしてこなかったという見解ですね。

 

高原 はい、そうです。自由放任主義のフリードマンと社会民主主義志向のリベラリズムのロールズの両巨頭がいて、自由と正義という議論の対立軸があった。でも別にこの対立は、「格差が広がってもいいから全部市場で」とか「弱者が可哀想だから分配しなきゃダメ」という話ではまったくない。分配が良い悪いとか、そういう話を超えたところで、「分配も成長もこの原理に従ってやらなければいけない、その方が合理的であり倫理的にも正当である」という議論ですよね。市場派と分配派みたいな話じゃ全然ない。日本ではこれまで、そうした原理的な議論が驚くほどなかったと思います。新自由主義をどう考えるかという軸がブレがちなのも、こうした欠如が影響しているでしょう。・・・・・・

 「規範的議論なき日本」より一部引用


 

小熊英二氏 高橋源一郎氏 対談@「文學界」2010年5月号

「文學界」2010年5月号特別対談「1968から2010へ」
小熊英二氏 高橋源一郎氏の対談が掲載されました。 

高橋 すると、最後に残るのは社会的なつながりということでしょうか。

小熊 うーん。だから、その社会的なつながりというのがどういう言葉で表現するのが適切なのかというのは、これから考えていかなきゃならないことなんでしょうね。

高橋 わかります。ここから先はおそらく単純な答えは出てこないだろうと思います。つまり今、社会的なつながりと言いましたが、たとえば「家族」という場面を考えてみます。今は核家族どころか、東浩紀さんの言葉で言えば「量子家族」になって(笑)、さらに細かくなっている。もしかしたら人々の孤独も極まったように見えるかもしれない。けれど、新しいつながりがあるとするなら、そこにあるかもしれないですね。そういう意味では僕らはいままで見たことのない風景を見ているわけですよね。

 僕はこの『1968』という本の正しい読み方は、小熊さんの最後の問題提起-新しいパラダイムは何でありうるのかという言い方でしたが-、その提起について考えることではないかと思います。もちろん僕も考えてみました。そのことについてここで言うべきなのかどうかは分かりませんが。ただ、そういう問いを引き出す、そして引き出してくれる本だなあと僕は思いました。

 (■新型の現代的いきづらさとは より)

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