近代的〈わたし〉はいかに解体し、また再生したか
志賀直哉の精神史を解明する好著
評者 池内輝雄氏
「・・・・・・・このため著者は志賀直哉の作品を「自伝的」な部分にかぎってとりあげ、それらを「作品の主人公と作者とを同一視」するという立場を鮮明にする。一見、かつて作家論として盛行した方法であり、ロラン・バルトの「作家の死」以降のテクスト論の時流のなかで、おや、という印象を与える。しかし読み進めるうち、作品=テクストを綿密に分析し、そこから新たな作家像を構築しようとする試みであることが浮かび上がる。吉田城らの生成論の方法とも一線を画するが、作家論としての新しい可能性を示唆するものといえる。・・・・・・・
文体は平易な語り口で、あたかもとぐろを巻くように思惟が深められ、しだいに作家像が明らかにされていく。「あとがき」によれば、大学で学生への語りかけを意識した講義から本書は生まれたという。平易ではあるが、むろん高度な内容をもつ。
激動の明治末期・大正初期に青年期を過ごした志賀直哉の精神の軌跡は、人・ものとの関係性の希薄な現代的状況のなかで、人間性の回復の可能性を示唆するにちがいない。「白樺」創刊(1910)から百年を迎えようとするいま、本書が単なる過去への言及でないことを強調しておきたい」
新形信和 著 『ひき裂かれた〈わたし〉』の書評が、図書新聞 09/11/28号に掲載されました。
書評くださいました先生、掲載誌ご担当者のかたに、こころよりお礼申し上げます。
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