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2011年8月16日 (火)

新刊 牧野陽子 著 〈時〉をつなぐ言葉

9784788512528_2 牧野陽子 著
 

〈時〉をつなぐ言葉

の見本ができました。
11.8.25
978-4-7885-1252-8
46判392頁・本体3800円+税         8月23日配本です。


 「・・・・・・ハーンを他のジャパノロジストと分かつのは、ハーンが日本という異文化の場において見出した、先述した時代の問いへの答えを、ひとつの肯定すべき価値観として提示し、それを、再話文学という言葉の形に託したことなのである。

 『怪談』末尾の随想「蓬莱」においてハーンは、「白い大気」に満ちる無数の霊の微細な顫動が体に染みわたって、自分のそれまでの〈時間〉と〈空間〉の概念が変わったのだと述べている。自分が「過去の世の様々な物のなかに生きて」きて、「未来の生存物の目で同じ太陽を見るにちがいない」(「餓鬼」『骨董』)と考えるにいたったことを言うのである。この「白い大気」のイメージは、第一章で言及した「夜光るもの」や「焼津にて」などにおいても、「白い光」、「霊の海」などの表現で登場していた。ハーンには、ひとつの幻視のように、壮大な宇宙空間を思わせる映像が見えていたのだといえる。
 ハーンは、ではなぜ、日本で得たヴィジョンを独自の小説なり何なりに描かなかったのか。来日前は、長編小説を書いているのである。なぜ、文学史でもあつかわれないような、昔の素朴な民話や怪異譚などを取り上げて再話することをもって、時代の問いに答えることだとみなしたのか。それは、そうした民話や伝説が、人類史をおおうものだからである。そこには、その時代その時代の人間の「どこから、どこへ、なぜ」という問いがこめられている。
 このような、滔々たる人類の歴史とともにある物語に向かい合い、それに自らの表現を投影して、その幻影の重なりを言葉にして残すこと。それが、過去の無数の命を引き継ぐ、みずからの存在の確認となり、同時に、未来の命へとつながることであると、ハーンは考えた。
 ハーンにとって、夜や海、地底の領域とはそのような〈時〉の思索を引き出す場であり、そしてハーンの幾多の作品を特徴づける不思議な透明感とイメージの鮮やかさは、ハーンの思索の映像の重なりによるものなのである。ハーンの再話作品の力は、広大な〈時〉と、異世界を含めた〈空〉の広がりをみつめるヴィジョンに支えられて生まれた。そして先ほどとは別の言い方をすれば、原話とハーンの再話作品の間にあるものは、無数の人々の想念をみている、ハーン自身の想念なのであり、ハーンの再話文学とは、人々の想念に満ちた〈時空〉をみつめた〈言葉〉として残され、その〈時空〉の未来に向けて再び、発せられたものなのである。
 このような〈言葉〉のあり方は、双方向のダイナミックな動きをはらむ。個性と独創性を主張して、作者から一方的に発信される近代の文学観といかに異なり、いかに革新的なものか明らかだろう。ハーンの独自性は、その文学にあるのである。同時に、民俗学において口碑の伝承の採集と蒐集を重視する考え方とも異なることが指摘できるかもしれない。民話の原型とオリジナルの語りへの遡及志向は、ハーンの再話文学とは、ベクトルが異なるといえる。
 ここで、私たちは、「はじめに」の冒頭でふれたことに戻る。なぜ、「のっぺらぼう」や「雪女」や「耳なし芳一」は、日本の物語として土着したのだろうか。もちろん、それぞれの作品が、今述べたような、再話作品としての力があるからである。だが、それだけではない。
 ハーンが再話を行なった時代は、日本が「西洋化」「近代化」を進めた時代だった。従って、人々は明治以降、「近代西洋文明」と向かい合い、憧憬、対決、または葛藤の対象にしたと、様々な事例で考察が行なわれてきた。また、その対峙のなかで、自らの「日本」をつくりあげようとした、と考えられてきた。いずれにせよ、二項対立的な文化の捉え方である。
 だが、西欧近代が自らを問うた問いを動機としてはらむハーンの作品が、江戸時代のものである日本の原話の方をしのいで、「民話」として受け入れられ、根づいたということは、その問いを日本人もまた、みずからのものとし、そうせざるをえなかったことを意味しているのではないのか。
 ハーンの再話作品には、古くからの日本人の想像力に、ハーン自身が投影した問いが重なっている。それは、西欧近代の視線を、いわば内に抱え込んだ日本人自身のあらたな想像力の世界と一致した。だから原話ではなく、ハーンの再話作品が人々の心に残り、「雪女」も、「のっぺらぼう」も、新たな日本の民話として生命をえたのだ、と私は考えている。
 異文化が投影された民話の土着は、多文化社会のあり方に示唆をあたえてくれる点でも興味深い。ここにみられるのは、ハーンがマルティニークに見出したクレオール文化がそうであったように、変わらぬものを土台に保持しつつ、異文化をも異界をも取り込んで変容していく文化のあり方である。ハーンの〈再話〉は、異世界の〈時〉をもつなぐ〈言葉〉なのである」

(結び ハーンの再話文学 より)

新曜社ラフカディオ・ハーン関連書籍

・大貫 徹 著 「外部」遭遇文学論 2011.07.07
・遠田 勝 著『転生する物語』 2011.07.06
・平川祐弘・牧野陽子 編 『講座小泉八雲I  ハーンの人と周辺』 2009.08.12
・平川祐弘・牧野陽子編『講座小泉八雲Ⅱ ハーンの文学世界』 2009.11.20

 

     

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コメント

小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「怪談」は、日本各地の怪奇伝説を再話した名作だが、実は伝説をそのまま採録したのではなく、原話に基づきながらも独自の解釈が施されている。
 研ぎ澄まされた緊張感が張り詰める作品の背後に、どんな思いが込められていたのか。ハーンは怪異な世界に近代文明が置き去りにした「薄明の領域」を見いだし、そこに自分の内面世界を託したのではなかったのか? 熟練の比較文学者がハーンの再話文学の秘密に迫る知的刺激に満ちた一冊。

2011年11月27日付 信濃毎日新聞 紹介

投稿: shu- | 2011年11月30日 (水) 19時09分

比較文学・文化の専門家がハーン(小泉八雲)に新たなスポットを当てた。「耳なし芳一」などの作品は古い物語を素材に語りなおした「再話」だ。その背景に、人は「どこから、なぜ」という時間をめぐる問いがあったと著者は言う。物語の原点に迫る力作だ。 「週刊新潮」 11/10/6号

投稿: shu- | 2011年10月 4日 (火) 11時52分

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