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2011年5月27日 (金)

ポール・リクール 著 『イデオロギーとユートピア』

9784788512351 ポール・リクール 著
ジョージ・テイラー 編 川
惣一 訳
『イデオロギーとユートピア――社会的想像力をめぐる講義』

11.06.10
A5判504頁・定価 本体5600円+税  ISBN 978-4-7885-1235-1

6月1日配本 発売は6月3日

本書はポール・リクールのLectures on Ideology and Utopia, Ed. George H. Taylor, New York: Columbia University Press, 1986の翻訳である。翻訳にあたっては、内容の読解および翻訳の大胆さという点で、フランス語版(L'ideologie et l'utopie, Trad. Myriam Revault d'Allonnes et Joel Roman, Paris: Editions du Seuil, 1997)が参考になった。なお、副題は邦訳のオリジナルであり、原書にはないものである。

著者のポール・リクールについては、おそらく説明の必要もないくらい著名な現代フランスの哲学者である。その著作はほとんどすべて邦訳されており、リクールの略歴や業績についても広く知られているであろう。とはいえ、本書ではじめてリクールのことを知る読者もいるかもしれない。そこで、リクールについて簡単に紹介しておく。

リクールは一九一三年二月二十七日、フランス南東部のヴァランスに生まれた。レンヌ大学とパリ大学ソルボンヌ校で学んだあと、第二次世界大戦に出征し、五年間の捕虜生活のうちにフッサールの『イデーンⅠ』を仏訳した。ストラスブール大学、パリ大学ソルボンヌ校で教鞭をとり、一九六四年にパリ大学ナンテール校に移った。一九七〇年よりシカゴ大学神学部教授を兼任し、ほかにもルーヴァンやモントリオールの大学でも講義を行なった。二〇〇〇年京都賞を受賞。二〇〇五年五月二十日に、自宅のあるパリ郊外のシャトネ=マラブリーでその実り多い生涯を終えた。

リクールは現象学とフランス反省哲学についての研究を出発点とし、一九六〇年代は壮大な「意志の哲学」を構想して、『意志的なものと非意志的なもの』などの著作を出版した。やがて解釈学や言語哲学に強い関心を抱くようになり、解釈やメタファーに関する多数の著作・論文を執筆したほか、一九八〇年代には歴史=物語を主題とした大作『時間と物語』を出版し、「物語的自己同一性」の概念の練り上げを行なった。このあとも、一九九〇年には『他者のような自己自身』、二〇〇〇年には『記憶・歴史・忘却』、二〇〇四年には『承認の行程』といった重要な著作を次々と出版した。また、哲学的探究と平行して、聖書解釈学に関する研究にも情熱を注ぎ、こちらでも多くの成果を残している。

さて、本書はリクールが一九七五年の秋学期にシカゴ大学で行なった講義がもとになっており、それを録音したテープにもとづく原稿と、リクール自身の講義ノートから編集されたものである。英語で出版されたものがオリジナルであるが、その出版は一九八六年であるから、もう四半世紀がたつことになる。タイトルにある「イデオロギー」や「ユートピア」といった言葉じたいが、一定の古さを感じさせることは否めない。まして、「イデオロギーの終焉」が唱えられたことさえもはや遠い過去の出来事となり、「ポスト・イデオロギーの時代」と評されて久しい現代においては、それらの概念はもはや有効性を失った、という評価が一般的なのかもしれない。本書で取り上げられている思想家たちの名前を見ても、マルクスやウェーバー、アルチュセールはまだしも、マンハイムやギアーツ、サン=シモン、フーリエといった思想家たちの名前は、むしろノスタルジーさえ覚えさせるかもしれない。

にもかかわらず訳者としては、本書は、いまなお広く読み直されるべきアクチュアリティを備えている、と主張したい。それは何よりも、テリー・イーグルトンが『イデオロギーとは何か』の冒頭で記しているように、「ここ十年のあいだに世界中のいたるところでイデオロギー運動のめざましい復活をみた」からにほかならない(『イデオロギーとは何か』大橋洋一訳、平凡社、一九九六年)。こうした事態は、「九・一一」以降の世界情勢のことを振り返ってみるならば、イーグルトンの著作が出版された一九九一年当時よりも現代にこそ、いっそう当てはまると言わなければならない。たとえば「原理主義」、「ナショナリズム」、「グローバリゼーション」、「ネオリベラリズム」などのことを思い浮かべてみれば明らかなように、現代社会において、「イデオロギー」と呼ぶことのできる思想・思潮に事欠かないのである。私たち自身が特定のイデオロギーに染まっていないと、誰が自信をもって言えるだろうか。そしてそういう時代であるからこそ、来たるべき未来社会としてのユートピアについて語ることもまた、強く求められているように思われるのである(「強く求められている」というのは、時代の要請と、人々の欲求という二つの意味においてである。たとえば、近年の一連のハリウッド映画の潮流のことを考えてみるならば、近未来の世界を描いた多数の作品が制作され続けていることが、その傍証とはならないだろうか)。

本書でのリクールの議論は、先に名前をあげたマルクスやアルチュセールなど著名な思想家たちの著作を検討するという形をとっている。マンハイムに『イデオロギーとユートピア』という著作があることは広く知られているが、リクールは本書では、(マンハイムのように)これらの概念を練り上げていくことに力点を置くのではなく、従来の思想家たちがこれらの概念を特徴づけるやり方そのものに注目し、その射程を明らかにしようとしている。そこでは「偉大な読み手」と評されるリクールのスタイルが存分に発揮されており、リクールは自らの視点のもとにイデオロギーとユートピアをめぐるそれらの思想家たちの主張を吟味し、そのロジックを浮かび上がらせたうえで、最終的には二つの概念を、想像力およびフィクション構築の働きの重要性という自らの展望のなかに、ポジティヴな仕方で組み込もうとしている。

本書の内容に関しては、社会哲学の分野において日本を代表する思想家であった今村仁司氏の、次のような評価が大いに参考になることだろう。

彼〔リクール〕独自の人間学に基づく解釈学からこれまでのイデオロギーとユートピアに関する諸思想を吟味する手際が見事である。(…)リクールによれば、二つの要素は人間の社会関係の本質的な構成要素であり、いずれも象徴的想像力の機能であるとする。彼の基本テーゼよりも、彼の先行思想家の読みとり方が実に刺激的であった。(「二〇〇五年読者アンケート」『みすず』一・二月号、二〇〇六年)

訳者としては、本書を読み通すことが一つのきっかけとなって、一人でも多くの読者が、現代社会に生きる人間として、「ここにはない何か」に向かって具体的なヴィジョンをもつことの重要さについて再考するようになられることを、強く願う次第である。

また、本書で引用・言及されている多くのテキストのうち、邦訳のあるものについては可能な限りこれを参照し、引用箇所を訳出する際に活用させていただいた。ここに感謝申し上げたい。ただし、リクールが英訳版を使用していることもあり、文脈の都合上、訳者が新たに訳出した箇所もある(その場合も、邦訳の該当箇所を本文中や注に示しておいた)。ご容赦いただきたい。

最後に、本書の翻訳および出版にあたって、その機会を与えてくださった久米博先生と、訳稿の入念なチェックを行なってくださった新曜社の渦岡謙一氏に深く感謝申し上げる。渦岡氏の叱咤激励のおかげで、翻訳の精度と訳文の読みやすさが大幅に改善された。とはいえ当然ながら、それでも残り続けているに違いない読みにくさと誤訳については、ひとえに訳者の責任である。

二〇一一年四月二十日 復興の途上にある仙台にて
川﨑惣一 

訳者あとがきより

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