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2011年3月20日 (日)

本棚をさぐりながら

 twitterでつぶやいたあと、それがretweetされるとちょっと問題アリかなあと思うと、わりとすぐに削除してしまいます、私。いわゆる「ヘタレ」ですね。ある部分だけハイライトされて、誤解されるのがこわいからですが、それがいやならブログなりに書けばいいのかもしれませんが、やはりスピード感が違うんですね、ブログとtwitterは。反射で書く面白さと怖さとが同居しています。

最近ですと、かの次期都知事候補のあんまりな発言(1 にあわせて、『地震と社会』(みすず書房・外岡秀俊著)から「(関東大)震災をきっかけに生じた天譴論に、敢然と抗う人々がいた。芥川龍之介はその一人で、「天譴論を眞としたならば澁澤榮一先生などは眞先に死んでも好さそうだがね」とか「天変地異を道徳的に解するは野蛮思想なり」といった宮武外骨氏のことばを引用してつぶやいたのですが、削除してしまいました。とくに芥川先生のほうはあまりに過激で、引用元とか背景が分からないと、誤解されるかなと思ったので。

このへんの迷いはひとえに会社名のアカウントでやっていることもあるでしょう。twitterはやはり個人の情報発信ツールであるし、あるべきだと思います。そこに面白さがあると思います。会社名では「面白さ」をどうだすか、非常に難しい。ただの広報という位置づけでもいいのでしょうが、やはりその会社にどんな人間がいて、どんなことを考え、どんな関係のなかで仕事をしているのかが少しでも知ってもらえたほうが、意味があるのではないかと思いつつ、試行錯誤しながらやっております。

 しかしさきの『地震と社会』(上・下)みすず書房は非常に参考になります。天譴論は安政の大地震の頃からあること、現世の退廃や堕落、奢りへの警告としての天譴論は、支配層である武士知識人層に多く見られ、また民衆にとって大地震は世の中が好転する兆しとしてとらえる側面があったことなど、整理してくれている。谷崎潤一郎が関東大震災以後、京都に移り、そこで谷崎文学の豊穣な世界が花ひらいたことなども興味深い。このへんのエピソードのあたりは本書のほんの一部、眼目は阪神大震災をめぐる日本の現状を包括的分析にあります。ひきつづき傍らに置きつつ、読み続けることにします。

 さらに余震が続くなか、チャペックが遠き日本におきた震災(関東大震災)に見舞われた人々への援助を呼びかける文章があったはずだと思い、家人の冷たい視線のなか本棚を探し続け、見つける。カレル・チャペックの『いろいろな人たち』(平凡社)の一章、「ゆれ動く世界」がそれだ。1755年のリスボン大地震。このときヨーロッパの人間は、神にこう問うた。「もしあなたが存在するなら、どうしてこんなに多くの悪を許しておくのだろうか?」。チャペックはいう、20世紀の人間は、この関東大震災の恐怖に直面して、神が存在するかどうか神に問うようなことはしない。そのかわり人類が存在するかどうかを人類に問うのだと。第一次世界大戦後、これはもっとも恐ろしく運命的な問いなのだとチャペックは言う。これは人間性の問題ではなく、文明の問題なのだと。この問いを20世紀銃ずっと、21世紀の今でも、変わらず人類は問い続けているのでしょう。

さてこのたびの東日本大地震。震災・津波の恐怖のうえに原子力発電の事故という、未曾有の危機にあたって、親が小さな子どもを安心させるために「大丈夫だよ」ということははたして正しいのか嘘はゆるされるのかどうか。確かなことはいえない、可能性の問題はいえないと正直に言うのが正しいのか(まあこんな親はどうかしているかと思うが)。

こんな問いを抱えながら、また本棚を探り続けています。

注1 都知事候補の発言に震災時のJRの対応への批判がありました。これはもう少し注目されてもよいかなと思います。

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